地下鉄電車保存会
地下鉄電車保存会は、1959年(昭和34年)に製造され、東京の地下鉄銀座線・丸ノ内線で活躍後、千葉県の銚子電気鉄道で運行されていたデハ1002号(2040号)を、後世に守るために設立された保存団体です。
現在、茨城県土浦市の「首都圏電車区」に車両を留置し、修復と維持管理に取り組んでいます。
車両の救出にあたっては、クラウドファンディング「昭和の地下鉄・銀座線の電車を解体から救え! 銚子電鉄から未来へ」により、806万3000円という多くのご支援と、たくさんの方々のご協力をいただきました。
第一期
RAIL color. / 工房ときわ野様、
北陸急行保存会様、田中 良憲様
※お名前を掲載させていただくプランでご支援いただいた方のお名前を掲載しております。多くの方からのご支援をいただいております。ありがとうございます。
「オレンジ色の銀座線」
最後の稼働車両を後世に
「オレンジ色の銀座線」
最後の稼働車両を後世に
戦後の東京の地下鉄の象徴であった319両の「オレンジ色の銀座線」は、ほとんどが現存していません。 特にデハ1002号(2040号)は、319両の中で唯一、昭和・平成・令和の3つの時代を走り、鉄路に残った最後の1両でした。 東京に「オレンジ色の銀座線」が走っていたことを、実物車両を通じて後世に語り継いでいきます。
戦後の東京の地下鉄の象徴であった319両の「オレンジ色の銀座線」は、ほとんどが現存していません。 特にデハ1002号(2040号)は、319両の中で唯一、昭和・平成・令和の3つの時代を走り、鉄路に残った最後の1両でした。 東京に「オレンジ色の銀座線」が走っていたことを、実物車両を通じて後世に語り継いでいきます。
首都圏の鉄道・文化の
過去と未来をつなぐ存在として
首都圏の鉄道・文化の
過去と未来をつなぐ存在として
デハ1002号(2040号)は、もともと茨城県の日立電鉄(2005年廃線)へ譲渡される予定でしたが、急遽キャンセルされ、その後、銚子電気鉄道に譲渡されました。 地下鉄電車としての第一線を退いた後も、首都圏全体の鉄道輸送を支えた「営団2000形車両」を茨城の地で修復することで、首都圏の公共交通に関する現状を考え、東京だけでなく、千葉・茨城の郷土史を後世に語り継ぐことを目指しています。
デハ1002号(2040号)は、もともと茨城県の日立電鉄(2005年廃線)へ譲渡される予定でしたが、急遽キャンセルされ、その後、銚子電気鉄道に譲渡されました。 地下鉄電車としての第一線を退いた後も、首都圏全体の鉄道輸送を支えた「営団2000形車両」を茨城の地で修復することで、首都圏の公共交通に関する現状を考え、東京だけでなく、千葉・茨城の郷土史を後世に語り継ぐことを目指しています。
未来を見据えた修復と
保存計画の策定
未来を見据えた修復と
保存計画の策定
デハ1002号(2040号)の現状は、長年の活躍と塩害による劣化が進行しているのが現実です。 しかし、そのような難しい車両の修繕・維持管理に挑戦することで、保存活動を担う人材の育成とスキルアップを目指します。 さらに地下鉄100年を目前に、世代を超えた人々が「オレンジ色の銀座線」の電車を修復する過程を実践することで、先人たちが築いた首都圏・東京の歴史と文化を守るモデルケースとなることを目指しています。
デハ1002号(2040号)の現状は、長年の活躍と塩害による劣化が進行しているのが現実です。 しかし、そのような難しい車両の修繕・維持管理に挑戦することで、保存活動を担う人材の育成とスキルアップを目指します。 さらに地下鉄100年を目前に、世代を超えた人々が「オレンジ色の銀座線」の電車を修復する過程を実践することで、先人たちが築いた首都圏・東京の歴史と文化を守るモデルケースとなることを目指しています。
デハ1002号(2040号)を未来に伝えるため、「オレンジ色の銀座線」として活躍していた頃をイメージした姿への修復を目指します。
昨今、変わりゆく東京の街で、地価高騰の影響もあり、鉄道車両に限らず大型文化財を保存することが難しい現実があります。
首都圏における東京都市部への一極集中が問題となる中で、文化財を保存する仕組みを考え・実践する、社会的意義のある活動を目指します。
将来的には、特に現在100年に一度と言われる再開発が進む渋谷をはじめとした、激動の昭和の東京の街並みを語り継ぐ文化財として、広く認知される日を目指しています。